2017年2月15日水曜日

雑記20170215

<<追記20170215
今日は仕事してたら愛の話になって
愛の賛歌を作ったシャンソン歌手の話になった。

結局自分もろとも相手の男性も成長するから
すごいんだろうと思う。
フランスの人気は高く葬儀にはいっぱい人が並んだみたいである。
愛があるなら
相乗効果はあるはずである。
それが結果にならないのなら失敗しているだけである。
それが私に何の関係も無い。
愛とは
結果もついてくる気がする。
それがシャンソン歌手にはある気がする。
私の愛は笑いでしかない。
そういう意味では開放的である。
あんまり真剣では無い。
なのでそれなりにラクにならないと思いつかない。
それがフランスのシャンソン歌手には
愛の才能がある気がする。
私も真面目になる時はあるが
どっちが愛なのか判然としない。
どっちもどっちである。
それがエディット・ピアフはブレない気がする。
才能として結実している。

それが愛のすごいところである気がする。
もうこの辺で結果がついてこないのを
私のせいにするのはやめた方がいい気がする。
そんなん愛が足りない。
いつまでこんな不毛な戦いをするのか理解不能である。
正義でも無い。愛でも無い。努力でも無い。
それを私がどうせいと言うのか困って仕方がない。
ほとんど自分勝手なだけである。
だから私には何の関係も無い。

せめて才能として結実してから考えた方がいい。
多分それが愛なんだろうと思う。
私もボチボチやりたい。
<<追記20170215end



1 件のコメント:

  1. なんとなく
    愛には傍観者でいたい気もする。
    めでるぐらいでいい。
    それが男の役目のように思う。
    あんまり表に出る必要もない気もする。
    なのに
    困った男は表に出て
    私を困らせる。明らかに愛の欠如である。
    表に出るんだから愛があっても
    良さそうなのに一部分の愛しかない。
    そんなんでみんなが評価するようにも
    思えない。
    表に出たら太陽みたいに
    全方向を照らす人が理想である。
    それが片方向だけである。
    もうこれ以上表に出てきて欲しく無い。
    いつまで私を困らせたらすむのか
    理解不能である。
    愛で才能が開花する。
    それぐらいで上等である。
    それが無いんだから
    表に出る必要も無い。
    それなのに
    表に出て私を困らせる。
    本当に犯罪である。
    いつまでこんな状態を続けるのか
    文句タラタラである。

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