2017年2月18日土曜日

新蒲原駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20170218
新蒲原駅から富士川駅まで歩いた。
色々話が出来た気がする。
埋蔵文化財センターによったり
富士川沿いに富士山見ながら新幹線の音聞きながら歩いたりもしたり
梅園をのぞいたりした。

今日もゆっくり寝れそうである。

連帯意識で行動する。
それを野球とかサッカーでどうやって統制しているのだろうか?
それが問題の発端である気がする。
私は個人の力を発揮することに意味があるような気がしていた。
それが全く感じられず。もっぱら連帯意識を大事にしようとする。
そしてそのまま連帯意識が正義になっている。
それに外れた考えは排除しようとする。
それでは個人の力はどうなるのか私は聞きたい。
ただの無駄な努力なのかなんなのか私には全く理解が出来ない。
苦労のわからん奴だぐらいしかない。

そうやって敬遠してきた私であるが
ここまできてそれが問題の本質のように思う。
私の話を聞く気もないのに私に迷惑を与えている。
ほとんど私としては不可抗力である。
そんなんで世の中がまわってたら末期的である。

よっぽど一人で生きれるようにした方がいい。
それぐらいしかおもいつかない。

連帯意識が無いと生きてけませんと言っているので
私を排除しようとしているとしか思えない。
または私をグループに加えようとしているのかもしれない。
男の場合は排除で
女の場合はグループに加える。

そういう民主主義らしい。

それが日本の民主主義なのかもしれない。

悲しいかな。私はそう言った日本文化を知らない。
多分物理の影響があるのかもしれないし
本の影響もあるかもしれない。
そもそも大学がそんな雰囲気では無い。
結局私の知らない世界なんだろうと思う。
それが私に何が出来るのか異次元世界である。
自分で判断しない世界である。
それがなんで民主主義なのか理解不能である。
そうしてエラク自己判断する奴がトップにつく。
エライ迷惑である。
お前達のためにやってやるから俺様が判断してやるときた。
女の場合は私はあまり知らない。
だけどそうやって連帯意識が大事になってる。
それが私を苦しめているしか思えない。
男も女も連帯意識から抜け出れないのである。
それは死活問題なのかもしれない。

そんな世界に私はいない。
正しいか正しく無いかは自分が判断する。

一体いつまで正解にたどり着こうとするのか
時間がやたらむやみに過ぎる。
もう正解は無理のように思う。
今日も富士山が見えた。
元気にやりたい。
<<追記20170218end





1 件のコメント:

  1. 私も不正解の時はある。
    でも個人として正解になるように
    確認作業をして重ね
    仕事しているわけである。
    そうやって個人が仕事しているのに
    連帯意識のなかで仕事にならないのを
    私にストレスがやってくる。
    いつまでも正解がやってこず
    私はいつまでもストレスなのである。
    いつまでやるつもりなのか
    わからない。
    個人がやってこれるよう
    仕事しているのにである。
    女にとって死活問題なのも
    連帯意識である。
    これにはお手上げである。
    いつまでも終わらない。
    一体いつまで私を困らせる気なのか
    理解しがたい。
    立派な犯罪である。
    大学出て十七年である。
    そんなに決着しないのは
    やっぱり犯罪である。
    男もズルイけど
    女もズルイというのが結論である。
    もっと愛のある奴いないのかなと思う。
    頭の問題じゃあない気がする。
    愛の問題である。
    どうしてズルイ問題になるのか
    理解しがたい。
    ただの愛の問題である。
    着実に愛を進めるだけなのに
    ズルイ話になっている。
    困った情けない話である。
    そして私はズルイになっている。
    本当にそれで社会は成立するのか
    見ものである。
    全員ズルイと言ってるように
    聞こえる。日本の学歴や職歴考えたら
    そうかもしれない。
    それでしっかりした仕事できるだろうか?
    真価が問われてる気がする。

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