2017年4月14日金曜日

雑記20170414

<<追記20170414
最近は関数型言語とPythonと英語と古文が日課になっている。
仕事も疲れて帰って健康的である。
体力つけばいいかぐらいである。
どっちが先回りかわからんというのが私の気持ちである。
私なりに可能性を示したいというのが本音である。
それが許さないなりに可能性を示しているあたりが奇跡である。
私は何も感想はない。ただ神のみぞ知るつもりでやるだけである。
多分ここまでくれば神は存在するように思う。
それが私の実感である。
神は私を見ている気がする。
それに恥じないように出来るだけの事をしたい。
本当はそれが実感出来るような仕事がしたいけど
みんな無理だとか言ってごまかしている。
何が事実か神しか知らない。
それが俗世である。
ごまかしている本人だってわかっていない。
神にみてもらうまで我慢ばっかりである。
神は絶対存在する。
美しい法則lにのとって天命がくだる。
私は私でやるだけである。

大体プログラムなんて出来て当たり前である。
それを難癖つけて無理というのは
仕事がどっかおかしいとしか思えない。
仕様がしっかりしていれば全部うまくいくのである。
仕様が悪ければ仕事にならない。
東芝テックの子会社にいて感心するのは一点である。
仕事の出来ない仕事はやってこなかった事である。
なのでその時の仕事の自慢話は結構ある。
7.5時間でパートだったけど正社員は7.75だった。
あんまり残業がなかったけど
仕事がすべてみたいな人生だった。
それと決別して私も競争である。
どっちが近道か私にも問われている。
ボチボチやりたい。
<<追記20170414end



1 件のコメント:

  1. 今の所プログラムに関して読書する限り
    心配していない。
    それより仕事の目的の方が気になる。
    今は生活に全面的であるが
    そんなんでいいのかという問題がある。
    とりあえず許される限り
    現状維持である。
    それまでどうしたものか一歩一歩である。
    どうなることか神のみぞ知る。
    神に見てくれるように善処しかない。
    まあそれが出来るようにやりたい。

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