2017年6月15日木曜日

雑記20170615

<<追記20170615
ここまでやってきて
思う事は
「人間あんまり考えていない。」という事である。
そういう意味で
「考える機会を持つ。」というのは大事だと思う。
会話でもいい。文章でもいい。
そういう機会があるか無いかでだいぶ違ってくる。

マスコミや政府や国会や行政や含めて
どれだけ考えている人数がいるか私には疑わしい。

考えているつもりになっている人が大半のように思う。
なので何となく危機感を感じる。

もうここまできたら開かれた日本国家を目指すべきのように思う。
行政に頼るより国民に頼った方がいい。
エリートには荷が重すぎる。
考える暇のある奴が考えればいい。
エリートなんて詐欺である。
東大法学部でも考えれるなら
一般国民でも考えられる。
一体何が違うのか私には定かでは無い。
国語が数学か英語か社会か理科かそれで何が違うのかもっと明らかにしてもらいたい。
そういう一つ一つが会話や文章になっていないのは
考えていない証拠である。
「人間あんまり考えていない。」危機的状況である。
それのどこが開かれた日本なのか理解しがたい。
いろんな人の頭をシェアする時代だと思う。
競争が競争になっていない状況だから文句言っているのである。
いろんな事をもっと冷静に考える奴が必要である。
まともに競争になっていない。
そういう意味では私も含めて下剋上も仕方ない。
もっと考える人が必要である。
それが私の本音である。
<<追記20170615end


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