2018年2月7日水曜日

雑記20180207

<<追記20180207
今日も仕事した。
昨日の晩はいつの間にか寝てしまった。
読書と録画は済ませた。
いつ寝たのか記憶がない。
気がついたら朝だった。
大学の時に悩んでた話をカウンセラーにした記憶があって
それを思い出したら私も良くやったなあと思った。
一人で悩んで一人で解決したような気がする。
それも物理の難問をである。
悩みのタネもノーベル賞級だし
解決もノーベル賞級である。
悩みのタネは高校卒業の浪人決定の春である。
それから山口大学で図書館の物理辞書にのってた言葉で問題は確定してしまった。
それから大学院の間その話をカウンセラーにして修了後
一人で悩み続けた。
それが晴れたのは「みちしる沼津」に在籍してここ三、四年の間である。
その解決もノーベル賞級だと思う。
もう大学を出て18年目である。
長い年月かけてここまで来ている。
ここまで来れたのも私にやる事があったからだと思う。
時代が進化して消化するのも時間がかかる時代になった。
そのあらわれだと思う。
なのであんまり大学入試がどうのこうの言っている時代じゃあない気もする。
それぐらい大学でやった事を消化するの方が比重が重い。
それで18年かかっている。
それだけに大学でやる事はやる事で大切だと思う。
私は私で大切だったからである。
私は私なりに悩み続けた。他人も同じだと思う。
悩んでないのも悩んでいても結果は結果である。
とにかく私は18年悩み続けて
まだまだやる事がある。明るさは山のようである。
それでも私が悪くなるのは私の問題ではない。
他人の問題であって他人の無責任が問題である。
私には全く関係がない。
そもそも普通にいれなくて特別扱いしなあ生きていけないのは問題である。
その問題は他人の問題であって私の問題ではない。
侘び寂びの対極である。
私にはそんな挑戦はしない。
それでもここまで悩んで来たのは色々私なりに色んな事をやったからだと思う。
電磁石も実験でやったし試験だけではない生身の実感があったからだと思う。
そんな早足で勉強しても得られない実感が私を考えさせた原因のように思う。
じっくりやるという事が何よりも得難いあらわれのように思う。
それがどうして特別扱いの不平を私が背負わなああかんのか理解不能である。
そんなこと言っている暇あったら色々やるべきである。
それもなく不平を言うなんて競争原理としては末期的である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180207end

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