2018年4月21日土曜日

清水駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20180421
今日は船で往復して三保の松原が目的だった。
富士山も見えて天候は良かった。
さわやかウォーキングとしては初だった。
去年バスで行ったけどコースは少し違った。
清水駅到着後新静岡駅まで静鉄を使った。
静岡駅で買い物して帰った。
行きは各駅電車だった。

みんな同じであるという事に期待するのはわからんでもないけど
あんまりそんな期待してもしょうがない気がする。
はっきり言って努力しない期待だと思う。
なのでそんな事に振り回されたくないというのが本音である。
そこまでせえへんと満足しないという裏返しだけに
迷惑至極である。もう何もかも違うでいいと思う。
一体いつまでこんな事を続けるのか理解不能である。
言うこともすることも全然違う。それ以外に同じ事なんてどうでもいい。
正直な話愛らしい気持ちにはなってみたい気はする。
それがなんか国造りにつながる気がする。
そうそういう単純な事が大事だと思う。
そういう基本的な事からして全然違うというのが大事である。
そういうのが基礎である。なのであんまり私だけでどうにかなる話だと思っていない。
それなのでみんな同じにはならんだろうと私は思っている。
そういう単純な事が全然違うとは全く違うに同じである。
それが私の正直な気持ちである。

それはそれで三保の松原を歩き太陽を浴びて他人がコンドルはとんでゆくをフエで演奏し
静鉄に乗って静岡市内を歩き
新幹線で三島駅まで戻って
三島駅と大場駅までに短歌と俳句を作った。
ひたすらに侘び寂びを目指す。そんな者にとって精神世界の話である。
気持ち一つあらわす大事さを感じている。
そういう積み重ねが大事だと思う。
それが科学という物理にもプログラムにも結実したのは
精神と考えが融合しているからだと思う。なんか色んな事が関係している。
それを感じて生きている。なんかそう思うと未来は明るい気がする。
なんか未来に明るい何かが待っている気がする。
それはそれで神のなせる技だろうと思う。
みんな同じだという期待はもうそのへんで終わりにした方がいい。
ほとんど終末思想である。ジエンドしかない。
もうちょっと新しい分野を開拓するぐらいの気持ちが大事である。

それでも明日はやって来る。
ボチボチやりたい。
<<追記20180421end





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